ファドのお稽古

私のファドのお教室では、
楽譜は使いません。

まず歌詞をしっかりと読み(発音し)、
それから
参考にしたい演奏音源や
私が歌う歌を少しずつ真似して頂きながら
レッスンが進んで行きます。

耳で覚えてもらいます。
もちろんレッスンは録音可です。

そんな風に歌を習ったことがない、
と仰る方もいますが、
皆さんの中にある歌、口から自然と出てくる歌、
例えば子守歌、童謡、歌謡曲などは、
ほとんどが耳から覚えたものではありませんか??

「ポルトガル語」(=外国語)
というハードルもあって、
たいていの生徒さんは最初は戸惑い、
難しさを感じるようなのですが、
とにかく色んな曲を数を重ねて歌っていく内に
楽譜を介さず耳から覚えることに
慣れて行きます。

歌うたびに毎回リズムやメロディラインが
違っている気がします、
と困り顔で仰る方もいますが、
コードやテンポの中に
収まっていれば大丈夫、
それこそ楽譜がないからこその
面白さであり、自由さです。
それがファドらしいと思うのです。

口承で伝えれば、もちろん
歌う「口(人)」によって
少しずつ変わってしまいます。
それでいいのです。
その変化が、その人らしい歌、
に繋がっていきます。

耳から歌を知ろうとすることで、
耳が鍛えられます。
音楽を聴く力が、です。
人って、
聴いているようで聞いてませんから(^^)。
そして、耳で覚えなければならない場合、
参考にする歌を何度も聴きます。
さらには色んな演奏を聴こうとします。
こうやって情報をたくさんインプットして
耳を鍛えることは、
歌のうまさにつながります。

あと、不思議なことに、
楽譜を使って身につけた歌よりも
忘れにくい気がします(^^)。

かといって、もちろん
楽譜が悪いもの、というわけではありません。
歌いたかった曲の楽譜をみつけたときの喜び、
そのありがたさは身に染みています。
耳だけでは聴き取り切れない複雑な楽曲は、
やはり楽譜が必要です。

楽譜が重要な場面はたくさんあります。

例えば私のファドと並行して専門にしている
西ヨーロッパの中世の音楽を
800年後の今、こうして再現し演奏できるのは、
楽譜が残っているおかげです。
口承だけでは消滅していたかもしれない歌たちが
楽譜に書き起こされ伝わっていることで
今こうして知ることができるのです。

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先日、初めてお問い合わせ頂いたメールで
『難船 Naufragio を歌いたいので
楽譜を購入させてほしい』
というご依頼を頂きました。

伴奏者用にたまたま
メロディを楽譜にしていたものがあったので、
それを差し上げました。
ファドを楽譜にしてしまうことに
私自身が抵抗があるので、
そんな楽譜にお金を頂くことにも抵抗を覚えて
「第三者には提供しないでください」
ということと、
「この譜面はあくまで
私が聞き取った解釈ですのでご参考までに」
という但書を添えて、無償でお渡ししました。

そう、楽譜の中に「正解」はないのです。
あくまで「指針」です。

Amália Rodrigues のために
たくさんの曲を作ったAlain Oulman は
Amáliaにどのように曲を伝えていたのでしょうか?
楽譜にしていたのでしょうか?
演歌のレッスンのように、
作曲家自身が歌ってみせて
それを真似させていたのでしょうか?
(弦哲也さんの歌は素晴らしいですよ!)
知りたいところです。

耳で覚えることの楽しさを
ぜひ感じてみてください。
あなたの中に深くしみ込んで、
取り出すのも楽しくなりますよ。

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